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箏曲演奏家  柳井 美加奈 (東京都豊島区)


【略歴】岡山県出身。東京芸術大卒業後、柳井美加奈一門の会「野分(のわけ)の会」を主宰し、国内外で演奏活動を行う。CD11枚と楽譜19冊を発売。海外公演は40回を超える


私と萩原朔太郎



◎ゆかりの文学館で演奏



 私が萩原朔太郎を知ったのは高校の時です。父の書庫にあった萩原朔太郎全集の中から詩集を読み、強烈な孤独癖を持っていた私はものすごい勢いで朔太郎に傾倒していきました。詩集では「氷島」が好きで、中でも「漂泊者の歌」は、何度読んでも涙が止まらなくなるほどでした。その後「アフォリズム」「恋愛名歌集」など、全集を夢中で読みました。萩原朔太郎を知ったことで、あまりにも孤独だった心が和らいでいきました。私は両親、祖父母らに溺愛に近い愛され方をして成長しましたが、強い孤独癖を持っていました。朔太郎の純粋な孤独が私を救ったのだと思います。

 成人しても朔太郎は心の友です。折に触れて読み返します。そんな私が、心臓病になり東京で手術したのですが、思わしくなかったところ、群馬出身の友人Nさんが群馬県立心臓血管センターの先生を紹介してくださり再手術していただきました。1カ月ぐらい入院したのですが、手術した次の日からすっかり元気で、外出許可をもらっては前橋の街をドライブしました。

 ばら園の中にある朔太郎の生家、前橋文学館、レストラン朔詩舎、広瀬川、利根川と、病気を忘れて飛び回りました。よく朔太郎は上州人気質か、上方気質かと議論されますが、私は群馬に来て、朔太郎が生まれつき持っている、朔太郎だけが持つ気質のような気がします。詩の中にもあるように、どこにいても自分とは距離があり、エトランジェだったのだと思います。

 前橋文学館に行った時、素敵なホールも見せてもらい「あーここで演奏会がしたいな~」と思い、Nさんに話したところ「ぜひやりましょう!」と言ってくれました。その友人が本当に何から何まで引き受けてくれて、2010年の5月30日に1回目のコンサートを行い、今年7月8日に3回目のコンサートを行いました。毎回筝曲のほかに、朔太郎、室生犀星、中原中也らの詩を歌曲にして演奏していますが、ここでの演奏会が今では私の大事な演奏会の一つになっています。

 その演奏会で父の詩にも曲をつけているのですが、詩人の父は18歳で受験のために上京した折、あこがれの朔太郎が明治大学で教えているのを知り、他の大学を受ける予定を急きょ、明治大学に変えて、入学してからは「萩原先生」の授業しか出ず、授業が終わると世田谷の先生のお宅までお送りしたそうです。

 その話は私が大学生になったころに聞いたのですが、このように朔太郎ゆかりの文学館でコンサートができるようになるとは、いろいろな深い縁を感じずにはいられません。前橋には2~3カ月に1度診察に来ていますが、東京の私の家から高速で1時間半~2時間で着きます。今では前橋の高速を降りると、故郷に帰ったような懐かしさを感じます。






(上毛新聞 2012年11月14日掲載)