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視点 オピニオン21
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やまねこ座―人形劇工房―主宰  高橋 幸良 (安中市板鼻)


【略歴】香川県出身。群馬大工学部卒。人形劇団「みつばち」を経て、2001年「やまねこ座」創立。県内中心に年間100カ所で公演。育英短大非常勤講師。



若者よ、人形劇を



◎表現手段に制約はなし



 6、7年前だったろうか。安中にある私の工房に学生2人が訪ねてきた。「先輩、僕たちの代で“桑の実”がなくなります…」。桑の実というのは群馬大学人形劇クラブの名称。私も学生時代所属していた。私の青春であり、人生を変えた出会いの場だ。

 あのころ、1980年代は人形劇が盛んだった。桑の実には教育、工学部合わせて50人の部員がいた。全国規模の人形劇カーニバルが長野県飯田市で始まり、プロとアマチュアの交流も盛んになった。

 カーニバル中、全国からやってきた大学生たちが飯田の街で目立っていた。派手な法被姿やおそろいのTシャツ。学生同士、お互いの劇をめぐる批判とけんか、夜中まで騒いでひんしゅくをかった。今思えば恥ずかしいかぎりだ。

 その若者たちを、飯田で行われた多彩な舞台が魅了した。私を含め、当時人形劇のとりこになった者の多くがプロになり、ならなかったとしてもアマチュアとして今も活動している。

 そんな中、全国の学生サークルが次々と消滅している。いつのころからか「人形劇って思っていたより大変だ」と言う悲鳴が聞こえてきた。「指導者もいない分野、すぐに壁にぶちあたるのも仕方ない」と思った。そのうちに「人形劇は、人形作らなきゃならない」と言う悲鳴。「あたり前だ! それが楽しみの一つだろ」と憤慨。そして「面倒くさい。サークルは遊びの多いところがいいな」と言う声が。そのとき「もうだめかも」と感じた。前橋で、学生たちによる人形劇フェスティバルが開かれていたのも一昔前。私たちが味わったあの達成感を、今の学生たちは知らない。こうして人形劇が、よりマイノリティーな世界として忘れ去られてゆくのかと寂しい思いに駆られる。

 当時から見れば人形劇表現の手法は進化し多様化した。

 学生だったころの私や仲間は、人形劇とは人が衝立(ついたて)の陰に隠れて操るものだという固定観念をもっていた。ところが、飯田では多くの劇団が出遣いの方法をとっていた。顔を出したまま演じるのだ。それだけでも十分に新鮮だったが、今となっては当たり前すぎて、そのこと自体が議論されることも少なくなった。

 現在は、モノで演じるオブジェクトシアター、身体や光と影、何でも利用するフィギュアシアターなど、その範疇(はんちゅう)は広がり続けている。これらはヨーロッパ人形劇界の影響と言える。私自身もチェコで見た、人形の一切出てこない人形劇に衝撃を受けた。

 大胆に言えば、人形劇は何でもありの表現。発想力さえあれば、この上なく面白い舞台になる。全ての表現手段を使えるのだ。ルールはない。若者の表現手段としても十分に魅力的なはずだ。ぜひその面白みを知って、人形劇の世界に戻って来てもらいたい。

 新しい表現はテクノロジーの世界だけのものではない。







(上毛新聞 2012年11月16日掲載)