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金剛院住職  伊藤 亮朝 (沼田市坊新田町)


【略歴】沼田市出身。叡山学院、仏教大卒。東京・上野の寛永寺で5年間修行、多くの落語家と交流を深める。沼田市の寿量院住職などを経て、現在は金剛院住職。


お寺で友引寄席



◎人が集まる憩いの場に



 お寺とは何か? お寺は昔「寺子屋」といい、お寺が今の学校の役を担っていた。さらに今の檀家(だんか)制度は、江戸幕府がキリシタンの弾圧のために、寺受け制度としてお寺に役場の役割を担わせたのが始まり。「お寺は泣くところではない」「地域の憩いの場」であったはずなのに…だんだん暗いイメージ、敷居が高いという声まで出てくるなか、本堂中にどっと明るい笑い声がわく。お年寄りも子どもたちもみんないい笑顔だ。

自坊の金剛院で、地域の人たちに楽しんでもらえるイベントを、と考えたのが「友引寄席」である。かつてのお寺は、寺子屋や学童疎開、囲碁将棋や昼寝に来たり、子どもたちの遊び場だったりと人々の集まる場所だった。最近では薄れゆくその姿を取り戻したい、かつ、お寺の雰囲気を崩さないもの、と落語を選んだ。

 落語は江戸庶民の楽しみ。堅苦しいものではなく、皆で想像しながら笑って見ることができるものである。2009年10月から「友引寄席」を始めた。自身も落語が大好きで、いろいろなご縁で噺(はなし)家さんとも親交ができ、東京から自坊に戻り10年がたち、お寺を昔のように憩いの場にしたいと考え、金剛院友引寄席を開くに至ったのである。

 友引寄席という名称には、お寺は友引の日に時間を作りやすいこともあるが、「ご縁で友達をたくさん作ってほしい」「友達を連れてきてほしい」という思いがある。落語の祖は安土桃山時代から江戸初期の僧侶「安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)」といわれる。

 策伝は「お伽衆(とぎしゅう)として豊臣秀吉にも支えていたが、もともとは浄土宗の説教僧であった。つまり仏教の教えを民衆に、わかりやすく伝える仕事をしていた。「醒睡笑(せいすいしょう)」は落語に大きな影響を与え、いろいろな噺のネタとなり、「子ほめ」や「平林」など今日でも落語として演じられているものが多く含まれている。落語で使われる用語の多くも仏教から来ている。

 「高座」は僧侶が説教する場所のこと。「前座(ぜんざ)」も高僧の前に説教をした「まえざ」から来ている。落語のルーツはお寺にあったわけなのだ。現在、来場者も回数を増すごとに増え、地元沼田はもちろん、県内外から多数の方に来ていただいている。

 「笑いは健康にいいといいますが、本堂で笑ったあとは気持ちがいい」とご機嫌の笑み。「普段は家でテレビを見ている日々だったのに、いい場所ができました」とお礼の手紙もいただいた。ご縁ができ、普段でもいろいろな方がお寺に足を運んでくれる。お茶を飲みながら世間話などして、教えていただいたり、教えたり、お寺としての役割が徐々に果たされていく。多くの人に来てもらい、楽しんでいただくのが最大の目的なのである。お寺の行事として、落語は理想的であろう。






(上毛新聞 2012年11月19日掲載)