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視点 オピニオン21
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座繰り染織家  中野 紘子 (高崎市新町)


【略歴】都内の大学を卒業後、碓氷製糸農業協同組合を経て03年、自宅に座繰り染織工房開設。富岡産繭の座繰り糸を工芸作家に提供、手織りストールなどを創作する。


座繰りと出合って



◎伝統の絹文化見直そう



 独特の湿った枯れ木のような蚕のサナギのにおいをご存じの方はどのくらいいるでしょう? かつて群馬県で製糸が盛んなころ、工場のある駅に降り立つとサナギのにおいがしたそうです。まるでインドがスパイスの香りに包まれているように。その街特有の香り。サナギのにおいがしたころは、そう遠い過去の話ではありません。

 1859(安政6)年の横浜開港後、蚕種と生糸は日本の重要な輸出品となりました。そして群馬県には1872(明治5)年、官営として日本初の富岡製糸場が設立されます。戦後になると、繭と生糸の生産量が全国トップとなり、現在もその地位を確保しています。

 まさにシルクカントリー。そんな蚕糸業が盛んな土地に生まれ育ちながら、都内の大学に在学中は、友人に「群馬ってなにが名物なの?」と聞かれ、「そうだな~、温泉と焼きまんじゅうかな」なんて答えていました。上毛かるたでおなじみの「まゆと生糸は日本一」ということが頭に浮かばなかったのです。群馬県が繭、生糸の生産量トップとはいえ、そのころには蚕糸業の衰退が始まっていたためでしょうか。

 私は、座繰り糸づくりと染織を仕事にしています。繭も生糸も頭になかったのに、なぜ座繰りの仕事に出合ったのかは、簡単に言えば運命だったように思います。ただ、群馬らしく自分が好きなもので手に職をつけたいと強く思っていました。その思いが神様に通じたのだと信じています。

 その仕事に出合って早10年が過ぎました。その間、好きな仕事を続ける苦しさ、手に職をつける難しさ、物作りの大変さなど、さまざまな壁に直面しました。今では、その壁は成長の糧と受け止められるようになり、登り方も少しは身についたような気がします。

 何も知らずにこの世界に飛び込み、今まで続けてこられたのは、蚕糸業に携わる先輩たちとの出会いがあったからです。キャリア60年の座繰りをするおばあちゃん、お蚕さまが大好きという養蚕農家のご夫婦、常に的確なアドバイスをくださる蚕糸技術者の方々。皆さんが世界に誇れる技術と絹文化が今も受け継がれていることを教えてくださいました。

 あらゆるテクノロジーの進歩、環境の変化を止めることはできないでしょう。しかし、今の生活は先人たちの築き上げたものの上に成り立っているのです。それを過去のものとして置き去りにしてしまって良いのでしょうか。

 「まゆと生糸は日本一」。先駆者が残したこの功績は、日本を近代化へと導いた大きな財産です。私たちに与えてくれた大切なものを失う前に、群馬の伝統産業、絹文化が見直されることを願います。







(上毛新聞 2012年11月22日掲載)