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視点 オピニオン21 |
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◎異質なものに心を開く 宗教というのは人が仲良く生きることを説くものだと思っています。だから、宗教が異なっていても、お互いに仲良くできるという道を宗教者は率先して指し示し、その道の先頭に立って歩まなければならない、と私は考えています。 今年の9月、ボスニア・ヘルツェゴビナに行く機会に恵まれ、たまたま、小さなお嬢さんを連れたご夫婦と同じ飛行機に乗り合わせました。イスタンブールで乗り換えのとき、ゲートが変わったことをわざわざ教えに来てくれるという親切なご家族でした。面倒見のいいお父さんはサラエボ出身の森林生態学の専門家で、東京大学、さらには京都大学で研究を続けているという温厚な学者でした。 「日本人でサラエボまで行く人は少ない。どういうわけで行くのですか?」という質問に、「平和を祈る宗教者の国際的な集いがあって、それに参加するのです」とお答えしました。するとすぐに「宗教はきらい。なぜかというといつも喧けん か嘩ばっかり」という私にとっては予期せぬ返事が戻ってきました。異なった宗教同士でも仲良くしなければいけないと思い、いわば、そのための努力の一環としてサラエボまで行こうとしている者にとっては、おっしゃることの背景がわかるだけに、心底つらい言葉でした。 「14歳のときに冬季オリンピックが開かれた」そうですから、1970年ごろのお生まれなのでしょう。「父はギリシア正教で母はカトリック」ということでした。サラエボは昔からイスラム教とギリシア正教とカトリックが共存するめずらしい土地で、異なった信仰を持つ人同士の結婚もめずらしくはありませんでした。ところが旧ユーゴスラビアが解体し、いくつかの民族が独立を計ろうとするときに、内戦が起こりました。それぞれの宗教をよりどころとする人たちがお互いに争いはじめたのです。だから家庭内にあっても、ずいぶんと大変なことがあったのだと思います。サラエボは盆地ですから、周囲を取り囲まれ、道行く一般市民が子どもも含めて無差別に射殺されるという銃撃戦の場となりました。今でも、壁に無数の弾痕が残っているのがよく目につきます。 一般的に、人間は同じということに好意を持ち、違うということに反感を覚えやすいと言われています。目の色、皮膚の色、信仰、言葉、習慣などが違うと、誤解も生まれやすいし、反感もより生じやすくなります。みんなが平和に生きるためには、そういったことを前提にして、異質なものに対する理解と共感が育ちやすいような感性が大切になります。「みんな違って、みんないい」(金子みすゞ)というところに行き着けるように、異質なものに対して心を開くことができるような学びあいの場が大事だと強く感じた道中となりました。 (上毛新聞 2012年11月28日掲載) |