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視点 オピニオン21
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県青少年育成事業団理事長  大西 康之 (桐生市川内町)


【略歴】桐生工業高電気科卒。大西ライト工業所勤務。1975年から市議3期。市公民館運営審議会長、市図書館協議会長、県社会教育委員連絡協議会長など歴任。


教委制度を考える



◎大切な社会教育の役割



 教育委員会制度は、アメリカにもらった制度だという人がいる。もうアメリカから卒業して自前の制度にしたら、という教育評論家の言葉も聞いた。この件について、1947(昭和22)年から社会教育法を担当し、後に文部事務次官も務めた井内慶次郎氏にお会いした時、井内氏は問わず語りにこんな話をしてくれた。

 1947年に教育基本法、49年に社会教育法ができるが、その前年の48年に教育委員会法ができた。当時、占領下でこの教育委員会法をCIE(アメリカ占領軍の民間情報教育局)に持っていくと、スクールボード(学校委員会、学校教育委員会)でいいのではないかと言われた。しかし、学校教育と社会教育があって教育委員会と考えていたので、説得して教育委員会法を認めてもらったという。

 このことから三つのことがわかる。一つは、教育委員会はアメリカからのものではなく、日本独自のものであること。二つ目は、社会教育があって教育委員会になったということ。三つ目は、社会教育はアメリカにはなかったということである。

 そういえば、かつての教育委員会はどこでも学校教育課と社会教育課であった。当時、学校教育法と社会教育法と教育委員会法を合わせて教育の総合法と言ったという。

 本当は、江戸時代の庶民教育をもとに社会教育法を作るため、英知を傾けて世界にない教育制度を日本が作ったのである。

 私は社会教育の立場から教育委員会を見ているので、教育委員会制度の本当の姿を見ることができるのであるが、この制度は教育の理想を目指して作られた。もし日本がこれをきちんと運用できれば、世界に広がっていたであろう素晴らしい制度である。しかし、日本はこれを学校教育委員会制度のように、崩れた運用をしている。

 アメリカからもらった制度を自前に変えようという議論は、アメリカの言った制度に戻るのではないかという心配が起こる。今のように、社会教育をないがしろにし、学校教育委員会のように続けていれば、教育委員会廃止論は起こり得ることである。

 教育委員会とは何かと問われた時、国によって統一的に行われている学校教育だけでは、市町村ごとに内容を決める自治体優先の自立してあるべき社会教育ほどの独立性・自立性は求められないからである。

 社会教育法は自治体において自治・自立を育てる大切な仕掛けであり、教育委員会廃止論は、地域民が自治や絆づくり、地域課題解決に向かう社会教育の大切な役割を知らない人の言であると私は言う。





(上毛新聞 2012年11月30日掲載)