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視点 オピニオン21
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まなぱる by NPO法人国際比較文化研究所代表  太田 琢雄 (安中市鷺宮)


【略歴】青森県生まれ。新島学園高―米カリフォルニア州コンコーディア大卒。2009年に多目的教室「まなぱる」を設立し、地域の立場で教育活動を実践。


伝えるということ



◎心を込め地道に丁寧に



 自家栽培・自家製粉のお蕎麦(そば)を食べさせてくれるお店があり、ついついそこへ足が向いてしまいます。運が良い日は、カウンター越しに陽気な店長が「お蕎麦ができるまで」の工程を語ってくれたりします。畑を耕し、種をまき、もえを待ち、収穫し、脱穀し、製粉し…彼の話は何度聞いても新鮮で、お蕎麦はさらにおいしくなりますし、売り切れで食べられなかった日は、次は必ず食べよう! と決意させられてしまいます。

 そんな魔法のトークなわけですが、店長に他意はなく、ただただ自分の好きなことをして、その話をしているだけのこと。連日完売のお蕎麦ですが「一日に10食分しか俺は打たねぇよ。せっかく育てたのに、余ったりしたら頭にくるだろ?」。そう言って笑っています。私はこのお蕎麦トークを聞くたびに「伝える」ということの奥深さを考えさせられます。思考や理想の伝え方は多様ですが、洗練された言葉よりも、心が込められている言葉の方が相手の心に響くものなのですね。

 教育に携わる者にとって、子どもたちに物事を伝えるというのは日々の課題です。そもそも私たち大人は、言語・非言語問わず、子どもたちに大事なことを伝えていくという使命を持っていると思います。しかしそれは、いざやってみると一筋縄ではいかないことばかり。あまりの伝わらなさにストレスをためてしまうこともあれば、あきらめていたことが年月をかけて伝わっていることもあり、不思議なものです。

 発達障害の子どもへの接し方として、曖昧な表現を避け具体的に説明することが大切とされています。「ちゃんと片付ける」ではなく「おもちゃは緑の箱に入れる」、「もうちょっと頑張る」ではなく「15ページの終わりまで読む」という具合です。これは、私たち大人が無意識のうちに押し付けてしまう「社会的常識」や「暗黙の了解」が、発達障害の子どもたちには通用しないことが多いからです。全ての子どもたちに(さらには大人たちにも)同様のことが言えると私は思っています。常識という言葉の正確な範囲を、私たちは誰も知らないのですから。

 「○○してと言ったのに」「ちゃんと起こしたのに」。日々の生活の中で感じてしまいがちな思い。しかし、その大半は責任転嫁なのかもしれません。「伝える」という責任を、私たち大人は常に背負っていて、それは単に言葉を口にするという行為とは違います。耕し、種をまき、もえを待ち…伝えるとは、そういった地道な作業なのかもしれません。

 心を込めて、丁寧に。幸せにつながるヒントを子どもたちに伝えられる大人でありたいと願うと共に、言葉以前に私たちの生き方そのものが、彼らに伝わっていることも忘れずにいたいです。








(上毛新聞 2012年12月15日掲載)