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視点 オピニオン21 |
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◎家族で支え諦めず治療 結婚して3年目、やや諦めかけていた私たち夫婦に待望の男の子が生まれた。 そしてその後、6年目にして今度は待ちに待った女の子が生まれた。 やっと妹ができた息子はうれしくて仕方がなかったのだろう。自分が名前をつけると言ってきかなかった。戸惑っている私たちを尻目に、幼稚園でさっさと妹の名前を発表してしまったのだ。その熱意に負け、息子はめでたく妹の名付け親となった。かいがいしく妹の世話を焼き、おしめまで替えるまめまめしさであった。そんな新しい家族を囲んでの様子がほほえましく、私たちは何事もなく順調だと信じて疑ってもいなかった。 ところが、娘は生後4カ月を過ぎたころからおじぎのように、頭を突然コクンとするようになったのだ。何だか心配になり、かかりつけの小児科の先生に相談した。診てもらうと娘は発達が順調なので様子を見ることになった。しかし、日増しにコクンとする回数は増え、夜泣きは続き、明らかに様子は悪い方へと進んでいった。その2カ月後、県立小児医療センターで検査を受けると「点頭てんかん」であることが判明した。 1週間後、治療のために入院。これが私たち家族と娘の病気の出発点である。 11度も繰り返した入院生活を家族が根気良く支えてくれた。母親が妹の付き添いで不在の穴埋めを父親と義父母が受け持ってくれた。 初めての入院時。幼稚園の年長組だった息子を家に置いていくつらさは身を切るような痛みとなった。見舞いに来た息子はまだ本当に幼くて、離れてみるとなおさら愛(いと)しくてならない。帰った後にずっと泣いていた私をやはり同じ病気で入院していたお母さんたちが励ましてくれたっけ。 つらい思いをしているのは私だけじゃないんだ。頑張らなくっちゃと素直に思えたのを覚えている。 生後8カ月で退院した娘は治療の副作用で2歳児と同じ大きさになっていた。やがて普通のサイズに戻り、心からほっとしたものだ。 その後、一度消失した発作は再発し、小学5年から娘の状況は悪化の一途であった。日々命を脅かす危険な発作が頻発した。かわいそうでならないのになすすべがない。以前、手術不適応と診断され服薬治療のために入院した病院に再々入院を頼むが、これ以上飲ませる薬がないと入院させてもらえない。諦めるに諦めきれない。 そんな時、セカンドオピニオンで手術の可能性があると診断され、中学3年の時にやっと手術を受けることができた。2年にわたり2度の手術をした娘は劇的な改善をした。「ネバーギブアップ」の言葉とたくさんの人に支えられ、娘と私たち家族にやっと穏やかな日々が訪れたのであった。諦めなくて良かった。 (上毛新聞 2012年12月29日掲載) |