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湯元四萬舘オーナー  入内島 道隆 (中之条町四万)


【略歴】東北大経済学部卒。1993年から四萬舘3代目オーナー。四万温泉協会青年部長、中之条町議1期などを経て、2004年から中之条町長を2期務める。


中之条ビエンナーレ



◎町全体が美術館に



 人と人とが出会ったことで火花のように新しい何かが生まれることがあるものですが、2006年の夏の日に越後妻有大地の芸術祭に行った時もそうでした。

 当時、中之条町長だった私は現代アート等門外漢でしたが、里山の原風景に現代アートが不思議なコントラストをもたらし、輝いていたのです。里山再発見でした。中之条へ帰る道すがら、同行のデザイナー山重徹夫さんが「中之条でもできますよ」と言ってくれたその瞬間に、アーティストの西田真実さん、産形美奈子さん、八幡幸子さんと町職員の関裕司さん、唐沢敏之さんが動きだしたのです。まさに火花が散った瞬間でした。

 そして07年の中之条ビエンナーレ開催に向けた動きがすごい勢いで始まりました。いま考えると無謀なことでしたが、勢いとはそういうものです。何しろ開催初日の明け方まで職員は案内看板設置に奔走していたのです。その結果、第1回は約5万人の来場者を迎え、上々の滑り出しでした。

 いまでも印象に残っているのは「今度の若い町長が横文字のビエンナーレなんて聞いたこともないことを始めたが、行ってみると結構面白かった」という老人会報です。美術館建設で町を二分したことがあっただけに、拒否反応を心配しましたが、「町全体が美術館に変わります」というソフト戦略が功を奏しました。

 09年の第2回は、西田真実さんが1年前から中之条に住み込み、自分の蓄えを使いながら、実行委員長を務めました。彼女の情熱が実を結び、前回の3倍の16万人の来場者を迎えるまでにビエンナーレは成長しました。また、この時に3回目の実行委員長となる桑原かよさんがUターンしてきました。故郷中之条への思いがビエンナーレを機にそうさせたのです。

 しかし、1回目、2回目はアーティストの情熱で成功したものの、持続可能な体制には程遠く、見直しが迫られていました。幸いにも10年に町の中心地に「クリエイティブ・コミュニケーション・センター つむじ」がオープンし、その運営をアーティストに委ねたのです。従来の手法での活性化は難しく、クリエーターの力を借りるという手法に切り替えたのです。そして、これを契機にアーティストの町への移住が加速しました。

 「つむじ」とビエンナーレとの合体によりクリエーティブで持続可能な体制がようやく確立されたのです。昨年のビエンナーレは36万人の来場者を記録し、日本有数の集客力を誇る芸術祭になりました。私に「できますよ」と言ってくれた総合ディレクターの山重さんは「100年後サミット」を新たに立ち上げました。未来を見据えることの大切さを伝えるためにまた一つ新しい火花が生まれたのです。







(上毛新聞 2012年12月31日掲載)