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| ◎2004/04/21 上毛新聞 |
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| 小祝神社で行われた記念碑の除幕式 |
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歴代宮司の顕彰碑完成 高崎・小祝神社
高崎市石原町の小祝(おぼり)神社(松本茂宮司)の歴代の宮司を顕彰する記念碑が完成し、除幕式が十八日、境内で開かれた。揮きごう毫した小寺弘之知事や氏子ら約八百人が出席し、完成を祝った。
同神社の歴史は平安時代にさかのぼり、現在の松本宮司は十二代目。記念碑の建立を計画していたところ、氏子で大和建設社長の萩原始さんが石を寄贈して実現した。
完成した記念碑は縦二メートル、横と奥行きが六十センチの黒御影石製。松本宮司からの依頼を受け、小寺知事が「延喜式内社 小祝神社」と筆書きしたものが彫られているほか、松本宮司と松本宮司の父で十代目の故喜太郎さん、兄で十一代目の在久さん、氏子総代ら五十八人の名も刻まれた。
除幕後、松本宮司は「多くの浄財のお陰で立派な記念碑ができ、ありがたい。知事に筆を入れていただき、氏子たちの宝になる」とお礼を述べた。 |
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| ◎2003/04/22 上毛新聞 |
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| 子どもたちでにぎわった小祝神社の春祭り |
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にぎやかに春祭り 高崎 神楽奉納なげもち 小祝神社
高崎市石原町の小祝神社(松本茂宮司)で家内安全や無病息災などを祈願する春祭りが開かれ、地域の人でにぎわった。
同神社の社殿は、市教委の調査で約二百八十年前の享保年間に完成したことが分かり、昨年二月に市内最古の本殿建築として市の重文に指定された由緒ある建物。
社殿の前の神楽殿では、氏子の手によって古式にのっとった太太神楽が次々と奉納され、なげもちなどが行われた。境内には、さまざまな屋台が並び、神楽の音色に誘われるように大勢の子どもたちが集まっていた。 |
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| ◎2002/04/20 上毛新聞 |
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| 本殿の市重文指定を祝った小祝神社の祭典 |
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「古式にのっとり儀式 小祝神社春の祭典 市重文指定を祝う 高崎」
高崎市石原町の小祝神社(松本茂宮司)の春の祭典が十九日、本殿が二月に市の重要文化財に指定されたお祝いと併せて行われた。
同神社の社殿は、市教委の調査で約二百八十年前の享保年間に完成したことが分かり、市内最古の本殿建築として市の重文に指定された。
祭典では重文指定を祝って県神社庁長の高崎神社・高井浄御宮司が献幣使として訪れ、古式にのっとった儀式が行われた。貴重な江戸時代の彫刻パネルや建造年代を示す資料の棟札、寄進銘なども公開された。
また同日、同市片岡町の荻野守さんが所蔵する明治初期の珍しい「相撲免許」が寄進された。これは、荻野さんの曽祖父の早瀬川吉五郎を、東京相撲協会の年寄だった粕川村出身の錦島三太夫が弟子として認めたもの。
境内では太太神楽、投げもちなどが氏子の手によって例年にも増してにぎやかに行われた。 |
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| ◎2001/06/27 上毛新聞 |
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| 小祝神社で棟札、絵馬などの資料を調査する市文化財調査委員 |
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「享保の棟札発見の小祝神社」
「文化財指定へ調査 高崎市教委」
高崎市教育委員会は、享保二(一七一七)年の棟札が見つかった同市石原町の小祝神社(松本茂宮司)で、文化財指定に向け、建物などの実地調査を行った。これまでに、同神社からはこの棟札のほか、享保四年の寄進札、当時の高崎藩主・間部詮房自筆という、アワの歌と絵の額などが見つかっている。
今回の調査には市文化財調査委員(土屋喜英座長)の四人全員が参加。寄進札、棟札のほか、天保年間の奉納額、本殿の建物、天井を飾る五十枚ほどの極彩色の絵、龍などの彫刻を調査した。
委員の一人、古建築専門の村田敬一さん(前橋工教頭)は「龍などの彫刻が建物建築当時のものか、後から付けたものか調べる必要がある」と話した。土屋座長は「領主・間部詮房の自筆という額は、間部氏が後に移った鯖江市に残っていると思われる詮房の筆跡と比べる必要がある」などと述べ、今後さらに調査を続行する方針だ。
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| ◎2001/04/24 上毛新聞 |
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掲載写真 |
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「市内最古認定の小祝神社でしゅん工式」
本殿・拝殿の修復工事が進められていた高崎市石原町の小祝(おぼり)神社(松本茂宮司)の完成を祝うしゅん工式が、氏子らが見守るなか、おごそかに行われた。
同神社は烏川・聖石橋南に鎮座する上野国十二社のうちの一社。今年三月に享保四年の寄進札が発見され、その後の専門家による調査から、高崎市内最古の神社として認定された。
翌日には恒例の「春祭り」が開かれ、参道の両側にたこ焼きや焼きそば、わたあめ、金魚すくいなどの露店が立ち並び、地域の大勢の人々でにぎわっていた。
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| ◎2001/04 /16 上毛新聞 三山春秋 |
| 三山春秋
平安時代初期の規則集『延喜式』に、当時の名高い神社が列挙されている。これが式内社。神社仏閣は、地域文化、政治、経済力を示すシンボルでもある。社(やしろ)の壮大さ、使用部材、軒や柱を飾る彫刻などを競った▼高崎・石原町の小祝(おぼり)神社は、上野(群馬県)式内12社のひとつだ。今年、社の回廊の改修中に、本殿から享保2(1717)年の棟札が見つかった。元文化庁建造物調査官で、江戸時代の寺院・神社に詳しい後藤治・工学院大助教授が本殿を調査したところ、建物の特徴が棟札の年号と合うことが分かった▼さらに後藤助教授は、神仏混交を色濃くとどめた内陣に驚いた。全国の神社で例を見ない、漆塗り金ぱく押しの豪華な厨子(ずし)、そして格天井の50枚の色鮮やかな絵模様。幕末に廃仏毀釈(きしゃく)の嵐が吹き荒れ、神社から仏教色が一掃されたが、人々は否定される前の信仰を守り抜いていた▼同神社は「高崎で記録の残る最古の神社」と認定された。当時、完成を待ちわびていたのは、石原の村人だけではなかった。高崎藩主・間部詮房(まなべ・あきふさ)もそのひとり。藩の公文書によると、藩所有の「小坂山」からの材木、石材の使用を一七一三年に許可している▼小姓から身を起こし、六代将軍家宣に寵愛され、新井白石とともに、幕政を主導。念願の城主に列した。「奢侈(しゃし)禁止、再建は前例に従って」が不文律だった時代、政治力で式内社の建立を許した▼だが、詮房は同神社を見ることはなかった。7代の幼将軍の死をきっかけに、越後・村上藩に移ったからだ。彼は、何を祈るつもりだったのだろうか。厨子から想像するばかりだ。 |
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| ◎2001/04/12 上毛新聞 |
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「高崎で最古の建物か 小祝神社本殿を調査」
「 造営年月記した棟札」
今年三月に一七一九(享保四)年の寄進札が見つかった高崎市石原町の小祝(おぼり)神社(松本茂宮司)を十一日、元文化庁文化財保護調査官で工学院大の後藤治助教授らが調査。本殿から造営年月などを記した棟札が発見され、建造記録が残る現存の建物として同市最古の可能性が強くなった。
同神社は昨年、老朽化した回廊部分の修復工事を始めたところ寄進札が見つかり、今回は本殿から棟札が発見された。同市文化財調査委員会の森田秀策さんによると、棟札の年号は明確に読みとれないが、享保二年十一月造営と推察される文言があるほか、同じ棟梁(とうりょう)名など、寄進札と記載が符合するとしている。
後藤助教授は「大きな改造跡が見られず、神社では珍しい入り母屋造り。天井に極彩色の絵模様が描かれ、内陣にほとんど例のない豪華な厨子(ずし)を置くなど、当時の神仏混交の信仰がうかがえ、全国的にも貴重」と評価した。
同市内には、最古の棟札として、八幡町の八幡八幡宮の一七五七(宝暦七)年があるが、小祝神社の本殿はこれより四十年も古いことになる。高崎史料集・間部家文書にも、小祝神社の建設で同藩のご用林などを使う許可を一七一三(正徳三)年に与えた書簡があり、建設時期と藩の記録が一致しているという。
同市文化財保護課の主任学芸員、星野守弘さんは「建物と藩の記録が補完し、神社造営を巡り城下の営みが伝わってくる、珍しい例」と、さらなる発見に期待を寄せている。 |
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| ◎2001/03 /13 上毛新聞 |
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「高崎・小祝神社 享保期の寄進札発見」
「 社殿を修復中 建設時期特定の資料」
高崎市石原町の小祝(おぼり)神社(松本茂宮司)で、およそ二百八十年前の江戸・享保期の寄進札が見つかった。寄進者名や金額のほか、建物を建てた棟梁(とうりょう)の名もはっきり残っている。同神社は九二七年の「延喜式」に記載された、由緒ある神社。同市市史編さん室や、同市教委などは、これまで不明だった社殿建設の年代を特定するのに極めて重要な資料であるとともに、当時の高崎藩の様子を知る上でも貴重なものと注目。近く建物や文書を総合し、調査に乗り出す。
小祝神社は昨年十一月、高崎市制百周年、同神社創立二千年を記念して、風雨にさらされ傷んだ本殿と拝殿の回廊部分の修復工事に取りかかった。
寄進札は、本殿の真裏で老朽化した木材を取り替えていたところ、小さな鳥居を安定させる敷板として見つかった。長さ約一メートル、幅二十センチ、厚さ二センチの板に墨書で「赤坂町 神奉加金三分 杉本重兵衛殿 享保二二年己亥六月十五日 大塚彦平 吉田彦八」と記されていた。
文字を読んだ、同市文化財調査委員会の森田秀策さん(69)は、この内容を「赤坂町(高崎市内)の杉本氏が、享保四年六月十五日、金三分を寄進した。大塚、吉田の両氏は社殿建設の棟梁の名前」と説明している。
同神社の創建年代は不詳だが、平安時代初期の『日本三代実録』に「元慶四(八八〇)年に昇叙」の記載があり、松本宮司は「おそらく奈良時代には当地に鎮座していたものと考えられる」としている。
また、現在の社殿については神社の古文書に、江戸・正徳年間(一七一一―一五)、高崎城主・間部詮房(まなべ・あきふさ)によって造営されたとあるが、これまで建物など詳しい調査がされておらず、造営の年を含め不明の点が多い。
今回、寄進札が見つかったことで、社殿が享保年間に造営されたことが判明したことになる。ただ、見つかった場所などを考えると、その社殿が現在のものか、それとも享保期に造営された社殿が火災や風水害で壊れ、その後に再建された際、材料として再利用されたのかは定かでない。
同市市史編さん室と市教委文化財保護課は、記録に残る神社として同神社は、市内で最も古い神社。これを機会に建物調査、神社に残る古文書を含め、総合的な調査を進めたいとしている。
【延喜式(えんぎしき)】 延喜五(九〇五)年に編さんを開始。平安初期の律令の施行細則を記している。そのうちの神名帳に上野国十二社中、片岡郡の一座として小祝神社が挙げられている。延喜式に記載されている神社は「式内社」と呼ばれ、国家の守護神として国の神祇官(しんぎかん)、国司が神社にもうで、祭った。 |
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記事提供 上毛新聞社 禁転載
© JOMO SHINBUN 上毛新聞社 2001
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