無限の表情 尽きせぬ魅力 尾瀬国立公園
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 《尾瀬保護財団 設立20年》国内外へ魅力発信 貴重な自然 後世に
2016/1/16掲載
【秋】朝もやが立ち込める尾瀬沼。燧ケ岳が水面に映り込み、幻想的な雰囲気を見せる
【秋】朝もやが立ち込める尾瀬沼。
燧ケ岳が水面に映り込み、
幻想的な雰囲気を見せる
【冬】尾瀬沼と燧ケ岳が冬の神秘的な美しさを見せる
【冬】尾瀬沼と燧ケ岳が
冬の神秘的な美しさを見せる
NPO法人国際環境経済研究所理事・主席研究員 竹内純子さん
NPO法人国際環境経済研究所理事・主席研究員 竹内純子さん
片品山岳ガイド協会長 松浦和男さん
片品山岳ガイド協会長 松浦和男さん
新潟県魚沼市観光協会事務局長 桑原幸子さん
新潟県魚沼市観光協会事務局長 桑原幸子さん
福島民報社編集局長 芳見弘一さん
福島民報社編集局長 芳見弘一さん
山と渓谷社Yamakei Online部長 神谷有二さん
山と渓谷社Yamakei Online部長 神谷有二さん
尾瀬山小屋組合長 関根 進さん
尾瀬山小屋組合長 関根 進さん
尾瀬の魅力について講演する橋本さん
尾瀬の魅力について講演する橋本さん
 群馬、福島、新潟、栃木4県にまたがる尾瀬の環境保護と適正利用に取り組んでいる「尾瀬保護財団」(理事長・大沢正明知事)=豆字典=の設立20周年を記念するシンポジウムが昨年12月19日、都内で開かれた。テーマは「これからもみんなの尾瀬であるために」。尾瀬の貴重な自然を後世に残していくために、パネルディスカッションでは増加が見込まれる外国人の対応やシカの食害などの課題について意見が交わされた。基調講演や尾瀬の映像を紹介したスライドトーク、特別表彰もあり、会場には約500人が訪れた。

【シンポジウム】「これからもみんなの尾瀬であるために」 
シカ食害 対策急ぐ 山と渓谷社Yamakei Online部長 神谷有二さん 
横断コース利用を  新潟県魚沼市観光協会事務局長 桑原幸子さん 
ごみ持ち帰り徹底  尾瀬山小屋組合長 関根 進さん 
子どもの感動呼ぶ  片品山岳ガイド協会長 松浦和男さん
3紙で協力し紙面  福島民報社編集局長 芳見弘一さん 
NPO法人国際環境経済研究所理事・主席研究員 竹内純子さん

 竹内 今回のテーマは「これからもみんなの尾瀬であるために」。守りながら上手に利用する尾瀬の歴史は、決して平たんではなかった。まずは歴史について伺いたい。
 松浦 初めて尾瀬に行ったのは、父が尾瀬の山小屋の荷物を運ぶ元締をしていた関係で、中学2年の夏休みだった。「明日、馬を引いて尾瀬に行ってこい」と。「尾瀬はよく分からない」と言ったら、「馬が知っているから」と。戸倉から歩いて長蔵小屋まで行った。中学卒業と同時にそれが本職となり、昭和31年からずっと尾瀬。ほとんど休む日はなく、年間200日くらい尾瀬の仕事をしていた。
 昭和30年代に入ったころは(尾瀬沼で)ボートに乗って遊んだり、泳いだりして本当に自由な尾瀬だった。山小屋の人はミズバショウが終わった6月下旬ごろ、みんなゼンマイを採っていた。川で魚を捕ってよかったし、お客にイワナを夜のごちそうで出すとか、そういう時代があった。
 関根 今は尾瀬でごみの持ち帰りは当たり前だが、昔は数百個の鉄製かごがあったようで、そこに全部ごみを集めた。しかし、入山者が増えてきて、ごみ箱が全然足りなくなり、雪の時には壊れてしまうことがあり、発想を転換させた。ごみを山小屋近くのごみ箱に持って来てください、その次は入山口まで持って来てください、その次は自宅まで持ち帰ってくださいというふうに、ごみの持ち帰り運動が起きた。この運動は尾瀬が発祥の地であろうと思っている。
 外国人がこれから増えてくる。初めて来てマナーを知らずに尾瀬ケ原の湿原に入ってしまう人もいる。きれいな花があり、「入って悪いのか」という顔をする。どういうふうに尾瀬の素晴らしさを伝え、ごみ持ち帰り運動をさらに定着させていくかがこれからの課題だと思う。
 竹内 ごみ持ち帰り運動は尾瀬に来た外国人に伝わることで、海外でも普及すれば素晴らしいと思う。マナーについて関根さん、もう一度。
 関根 山小屋で救急のために携帯電話を使わせてもらいたいという運動をずっとやっている。だが、携帯電話が使えると、あの静かな尾瀬でみんながどこでもしゃべってしまう。そういう問題が出てくる。だから家族や友人と話をしたければ、決められた場所で使ってもらう。以前、尾瀬で死んでしまった人がいる。緊急でも携帯電話が使えなかったので、使えるような尾瀬を目指していきたい。
 竹内 通信手段の利用は平常時と緊急時であまりにもニーズが違い、非常に難しい問題。次に各ルートの魅力について聞かせてほしい。
 芳見 福島県側からの入山者は東日本大震災以降、激減し、5年近くたって徐々に戻りつつある。環境保護の原点である尾瀬の魅力をもっともっと発信し、オーバーユースも解消しながら福島を訪れてもらいたい。
 尾瀬沼周辺の再整備で、(老朽化で建て替える)ビジターセンターは2019年に供用開始される。20年は東京オリンピックの年でもあり、国内外に尾瀬の魅力を発信することで環境をはじめ、いろいろなことを考えてもらうようにしたい。
 竹内 14年の入山者は事故前の9割ぐらいまで戻ってきている。
 芳見 そこから全く動きがなくなっており、風評の影響があるのかなと思っている。
 桑原 関東の方はどうしても入り口が鳩待峠だと刷り込まれているが、ぜひ魚沼まで出掛けてほしい。入った所から出るのではなく、鳩待峠から入ったら魚沼から出る、沼山峠から入って見晴を通って鳩待峠に抜けるとか、そういう横断コースをぜひ利用していただきたい。
 中京、関西でこの提案をした。今、非常に多くの関西の旅行会社に、このコースで商品をつくってもらっている。魚沼からのルートは遊覧船で入ってネイチャーガイドが案内する。バスと船がセットになった「尾瀬・魚沼ルートエンジョイきっぷ」を販売している。割引があってお得。
 竹内 尾瀬の問題点について切り込みたい。
 神谷 今、全国でさまざまな問題が起きているが、尾瀬が経験したことはけっこう多い。成功したこともあるし、失敗したこともいっぱいあったのだろうと思う。オーバーユースについては、富士山で問題になっている。かつて、環境省から分散させたいとの相談を受けたが、最初に「それは無理」と答えた。
 尾瀬だったら、初めて来る人はミズバショウ、ニッコウキスゲを見たいから、そこを減らすのは無理だと思う。この問題はリピーターをどう迎えるかが大切になる。
 竹内 確かにとても難しいこと。シカの問題は全国で問題になっている。
 神谷 どこも厳しい。特に難しい場所が尾瀬。最近、(インターネット上で多数の人々から出資を募る)クラウドファンディングで、尾瀬周辺で捕ったシカをなめした革ですてきなブックカバーなどを作っていることを知った。市民の目線でシカ問題を考えるとか、貢献できることが増えているような気がして素晴らしいと思う。
 竹内 それは「尾瀬鹿プロジェクト」のこと。さて、尾瀬の魅力の発信について紹介してほしい。
 芳見 昨年(2014年)、尾瀬に臨時支局をつくって記者とカメラマンを1週間、尾瀬に入れた。1週間ずっと尾瀬の新聞を作ったら、かなり大きな反響をいただいた。今、その新聞を持ってきているが、例えば1面はワタスゲがちょうどきれいな時だった。毎日、こういう調子で尾瀬、尾瀬と、社会面も尾瀬という形でやった。魅力、可能性、課題などについて上毛新聞、新潟日報とスクラムを組んでどんどん発信していきたい。
 竹内 尾瀬支局は3社で持ち回りで毎年、シリーズものにしていただくのもいいのではないか。ぜひ東京にも発信してもらいたい。会場の皆さんの質問や意見で多かったのが先ほどのシカに加え、外国人への対応だった。尾瀬はほかの地域と比べてどうか。
 神谷 尾瀬は遅れているような気がする。
 竹内 リーフレットは台湾、中国の方用、それから韓国語、英語もあり、進んだと思ったが、(トイレ)チップのこととか、いろいろなことが(多言語で)書いてあるようになればいい。最後に、環境教育の場としての尾瀬の価値について。
 松浦 尾瀬学校は、すごく中身のあるガイドをしている。(子どもたちが)初めて来て感動し、あの顔を見ると、尾瀬に来てよかったなとつくづく思う。尾瀬の魅力をもっともっと伝えたい。

【豆字典】
 尾瀬保護財団 1992年8月、尾瀬の保全や適正利用の推進などを目的に、群馬、福島、新潟の3県知事が設立に合意し、3年後の95年8月に発足した。3県と片品村などの自治体、土地の一部を所有する東京電力などで構成する。
 木道や登山道の整備といったハード面は国や各県が担い、財団は尾瀬の適正利用促進のための指導者育成、ビジターセンターの管理運営、利用者過多(オーバーユース)の解消などのソフト面を中心に取り組んでいる。

◎大沢正明知事 尾瀬保護財団理事長 保全へ積極的に連携
 尾瀬は貴重な自然の宝庫である。この尾瀬を守り、健全な姿で後世に残していくことは、今を生きる私たちの責務であると考えている。
 振り返ると、尾瀬保護財団が設立された1995年当時は、入山者の過度の集中や湿原への踏み込みが問題化していた。関係者が協力して啓発活動やマイカー規制、植生復元対策を実施してきた。そうした取り組みが2007年の尾瀬国立公園誕生につながったものと考えている。
 しかし一方で、近年、尾瀬にはシカによる食害など、新たな問題も顕在化してきている。財団はこうした問題に対し、引き続き関係者の皆さんと連携し、積極的に取り組んでいく。そして、尾瀬がいつまでも尾瀬らしい姿で保全され、多くの皆さまから愛される尾瀬であり続けられるよう取り組みを進めていくので、皆さまのご協力をお願いします。

【講演】「日本を代表する自然・尾瀬の魅力」
◎ネイチュアリング・スクール「木風舎」代表 橋谷 晃さん 泊まって分かる良さ
 大好きな山の中で、好きな場所の一つが尾瀬。山登りを始めて43年くらいで、18歳の時に初めて尾瀬を歩いたから、ちょうど40年になる。
 それからずっと、少なくても年に1回、通常は年に何回か訪れている。今でも、尾瀬と聞いただけで、ちょっとわくわくする。富士山に登るよりも尾瀬の方がわくわくして、たくさん人がいる割に妙な雑踏感が少ない。もちろんハイシーズンの人の多さは否めないが、そうでなければ、いつ訪れても尾瀬は、自然が「ウエルカム」と迎えてくれ、素晴らしいものを見せてくれる。
 尾瀬ケ原に立つと、これほど広い場所はないなと思う。山ノ鼻から見晴に行って、1周すると丸1日かかる。丸1日ほぼ平らで、素晴らしい自然の中を歩ける場所は本州ではほかにない。さすが本州最大の湿原だ。尾瀬は旅をする所だと思う。挑む所というよりも歩く、そして、たたずむ場所。それが尾瀬の魅力である。
 本当に尾瀬の魅力を味わうのならば、日帰りではなく、泊まってほしい。ゆっくり時間を使っていただけると、尾瀬の本当の良さを感じるのではないか。朝と夕方、特に素晴らしいものが見られる。泊まって、たたずんで、楽しんでいただければと思う。
 尾瀬の周りには山があり、燧ケ岳、至仏山が絵になる。深田久弥さんは『日本百名山』の著書で「燧ケ岳を厳しいお父さん、至仏山を慈しみ深いお母さん」と例えている。そういう対照的な山が本当にいい。絶妙の構図のバランスだなと思う。写真を撮る人が引きつけられるのも分かる。
 尾瀬にはこの湿原に加えて、周りを取り囲む落葉広葉樹の森がある。だから素晴らしいと思っている。これだけの豊かな森に囲まれた尾瀬は世界的にみても誇り得る自然で、外国の人にも胸を張って紹介できる。
 きょうのテーマは「これからもみんなの尾瀬であるために」。素晴らしい尾瀬を自分の子ども、孫、その子どもにも残していきたい。

◆◆◆尾瀬保護財団の歩み◆◆◆
1992年8月 群馬、福島、新潟の3県知事による尾瀬サミットで財団設立に向けた検討を開始することを合意
     12月 3県知事が財団設立に関する要望書を国に提出
  95年1月 日光国立公園尾瀬地区保全対策推進連絡協議会で財団設立を基本合意
     8月 内閣総理大臣が財団設立を許可。財団が第1回理事会を開催
  96年5月 尾瀬山の鼻ビジターセンター、尾瀬沼ビジターセンターの管理を受託
  97年7月 第1回尾瀬賞の募集を開始
  98年6月 第1回尾瀬賞の授賞式開催
  99年4月 環境庁長官から自然環境功労者大臣表彰を受賞
2000年8月 尾瀬サミットで「日光国立公園の名称に『尾瀬』を入れること」を提案
  05年6月 「日光国立公園」の名称に「尾瀬」を入れるよう環境大臣に要望書提出
     12月 財団設立10周年記念シンポジウム開催
  07年8月 「尾瀬国立公園」が誕生
  08年7月 尾瀬国立公園記念国際シンポジウム開催
  13年4月 内閣総理大臣が公益財団法人への移行を認定
  15年12月 財団設立20周年記念シンポジウム開催

【特別表彰】
樫村利道さん(84)福島市
 1966年に福島県尾瀬保護指導委員に就任以来、湿原生態系の専門家として踏みつけにより荒廃した湿原の植生復元や保護に貢献した。2007年から同委員会長として中心的役割を果たした。

須藤志成幸さん(77)伊勢崎市
 1981年以来、群馬県尾瀬保護専門委員として尾瀬の植物相の解明に尽力したほか、同委員会の中心メンバーとして至仏山東面登山道の植生復元に貢献した。

阪口 豊さん(86)東京都町田市
 尾瀬総合学術調査を通じて尾瀬ケ原の成り立ちを明らかにした結果、植生回復などの保護や湿原に負荷を与えない適正な利用の推進に対して貢献があった。

松浦和男さん(75)片品村
 1984年から30年間、自然公園指導員として動植物の保護や利用者への指導に尽力したほか、片品山岳ガイド協会長として安全登山の指導や適正利用に貢献した。

角田 勇さん(78)埼玉県川口市
 1971年のごみ箱撤去の提案が、全国に先駆けたごみ持ち帰り運動の始まりとなった。山小屋のごみを特別保護地区以外に搬出し処理することとし、美化活動に積極的に取り組んだ。

奥只見郷ネイチャーガイド 新潟県魚沼市
 新潟県での小中学校向け尾瀬環境学習プログラム作成の中心的役割を果たし、参加校の増加にも寄与した。旅行業界などへの積極的なPR活動を行い、魚沼ルートからの入山者割合の増加に寄与し、尾瀬の入山口分散化に貢献した。

尾瀬ボランティア 前橋市
 1996年に設立され、2015年10月1日現在、登録者297人。尾瀬国立公園全域で入山口啓発活動、巡回清掃、至仏山植生回復作業などを尾瀬保護財団との協働により行い、保護と適正利用の普及に貢献した。

≪上毛新聞社・福島民報社・新潟日報社 連携紙面≫