◎活用へ再提案
それから10年。県は世界遺産への登録構想という形で、同工場の活用を再提案した。それは、同社が進めていた「さいたま新都心開発」にめどがついた時期と重なっていた。
片倉工業では岩本社長が世界遺産構想を「グッドアイデアだ」と受け止めた。「そういう価値を持っていることは認識していたので、大きい枠の中で活用を考えるのが一番いい」と異論はなかった。
県と片倉工業との協議を前にした’03年8月25日、小寺弘之知事が構想を発表した。すると岩本社長の元には蚕糸業界をリードする大日本蚕糸会の重鎮から「おめでとう」と保存に尽力した同社の労をねぎらう祝福が相次いだ。
協議の冒頭、岩本社長は、そのエピソードを笑顔で披露した。かつて活用に消極的だった同社の姿はなく、製糸業の歴史を未来に伝えたいという熱意があふれていた。
富岡製糸場は1872(明治5)年の創業以来、官営、三井、原、片倉と受け継がれ、日本の近代化を支えてきた。最も長く経営権を握ったのは片倉で、1987年の操業停止後も18年間、同製糸場を保存するなど、世界遺産登録運動の礎を築いた。第四部では、片倉の歴史をたどりながら、日本の製糸業の盛衰を追う。
【片倉工業】 1873(明治6)年、長野県旧川岸村(現・岡谷市)で十人繰りの座繰り製糸として始まった。片倉組、片倉製糸紡績、片倉工業と拡大に伴って組織変更し、最盛期には国内外に64の製糸工場を経営するなどコンツェルン(片倉財閥)を形成した。現在は資本金17億5000万円。連結子会社6社を含め、関連企業は計15社。不動産開発、小売り、衣料品事業などを多角展開している。 |