玉糸 2匹で繭独特の風合い  
贄田銀之助さん(85)  前橋市南町 掲載日:2008/05/24

店舗裏の工場で使用する特注器械の前に立つ贄田さん
店舗裏の工場で使用する特注
器械の前に立つ贄田さん

 1905(明治38)年創業の贄田シルク(前橋市南町)の3代目。糸繭商から製糸業まで幅広く手掛けた初代の仕事を手伝いながら育った。
  「昔は家庭にいた主婦がよく座繰りをしたもの。うちで座繰り器を貸し、糸を引いてもらっていた。若い時は自転車でリヤカーを引きながら、山のように繭を積んで1軒1軒回った。雨が降っても関係なく、休むようなことはなかった」
  贄田シルクの前身は贄田製糸所。工場の中には座繰り器が20台ほど並んでいた。
  「糸を引くだけじゃなくて、自分の代から撚ねんし糸もした。一緒にやった方が効率良かったから。繭を乾燥する設備もあって、繭を買い入れると2週間は寝ずにやるような感じだった」と忙しかった日々を思い起こす。
  特に力を入れたのは、2匹の蚕が1つの繭を作る玉繭からの製糸。糸には節ができ、服地に仕上げると独特の風合いになった。
  「結城紬つむぎに使うから高く売れたんだ。玉糸で作ったものはしわにならない。それでいて軽くて着ていないのと同じような感じがする。高級服を作るのには向いていた」
  質の良い製品に仕上げるためには、良い繭から糸を引く必要があった。「世界中で群馬の繭からできる糸が1番だと思っている。繭は特に春蚕が一番。陽気が良くて、蚕も良く動くから、糸を引いても途中で切れない。県内からたくさんの繭を買った」と振り返る。
  製糸が器械化され、同業者が減っていく中、1980年代後半まで座繰りによる製糸にこだわってきた。
  「器械だと糸を引く時に強く引っ張るので味が出ない。人間はそろそろとやるから、ふんわりとしていて味が違う。そういう糸を使うから最高の物ができる。座繰りが今、見直されているのはそういうことだと思う」
  時代の流れとともに営業形態を変え、現在は靴下からコートまで多彩な絹製品の製造・販売を行う。「うちの製品を買ったお客から、店に直接注文の電話が入ったり、お礼がきたりする。初代から良い物を作り続けたおかげで今の信用がある」。老舗の伝統を守る熱意が伝わってくる。
(前橋支局 千明良孝)