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国史跡に答申された高山社跡の蚕室 長屋門

高山社跡藤岡国史跡に答申 「心の中に蚕業学校を」 「指定」弾みに支援拡大へ
分教場のつながり注目
掲載日・2009/05/18

全国に普及した養蚕技術の発祥地で、世界遺産候補になっている高山社跡(藤岡市高山)が十五日、国史跡に答申された。地元の支援団体「高山社を考える会」の会員は設立から一年ほどで四百人を突破。現存施設が少なくPRしにくい面がありながら、地道に運動を進めてきた。“国指定”を弾みに、今年は高山社の分校だった「分教場」に着目、市民の関心の掘り起こしを図る。(江原昌子)
高山社の祖、高山長五郎(一八三〇―八六年)の功績は大きく分けて二つある。蚕の成育状況に合わせ、蚕室の温度や湿度を制御する画期的な飼育法「清温育」の開発と、清温育を普及させるための教育組織「養蚕改良高山社」の設立だ。
長五郎の死後に事務所と伝習所を現在の市中心部に移転、私立甲種高山社蚕業学校と改称され、中国や朝鮮半島を含む全国各地から生徒が訪れた。上州の養蚕事情を見て歩いた民俗学者の柳田国男は一九〇七(明治四〇)年、雑誌「斯民(しみん)」で高山社のことを「全国多数の蚕業者に対して一種の本山たるが如き地位を占むる」と書いている。
◎会員1000人が目標
一九二七(昭和二)年に廃校後、養蚕の衰退とともに市民の記憶は薄れていたが、県が九二年にまとめた近代化遺産総合調査報告書で価値が見直された。二〇〇七年には清温育を開発した蚕室や母屋などが世界遺産暫定リストに記載され、再び全国に名を広めた。
郷土の偉人をたたえ、世界遺産登録を後押ししようと地元有志が昨年三月、高山社を考える会を発足。この一年の活動は講演会や勉強会、他団体と連携した世界遺産キャンペーンへの参加が中心だった。
その背景には「ハード面の弱さ」がある。市内中心部にあった蚕業学校はすでに取り壊され、関連施設は長五郎の住居が残るのみ。現在も個人が住んでいるため、見学客の常時受け入れやイベントの開催は難しい。
「建物はもうないけれど、市民の心の中に蚕業学校を持ってほしい」。会長の小坂裕一郎さん(54)は、養蚕によって地域全体の幸福を目指した長五郎の精神を広めようとしている。会員四百人に満足せず、倍以上の千人を目標にすえる。
◎生徒集めサミット
会員増の鍵を握るのが分教場の存在だ。一部の生徒たちは、高山社の教えを受けた養蚕農家に住み込み、養蚕の実習を行った。藤岡市教委の調査で、最盛期の一九一三(大正二)年には市内外に七十五カ所あったことが分かった。当時使われた蚕室や蚕具、資料が残っている家もあるが、七十五カ所の全容は明らかになっていない。
小坂さんは「蚕業学校の廃校後も分教場は続いたので、生徒たちがまだ各地にいるはず。そういう人たちに来てもらって、分教場サミットをやりたい」と意気込む。市教委も調査を継続しており、高山社への理解とともに支援の輪が広がることが期待される。
高山社を考える会は六月二日午後七時半から、藤岡商工会議所で勉強会を開く。共愛学園前橋国際大教授の宮崎俊弥さんが分教場をテーマに講演する。問い合わせは同会議所(電話0274・22・1230)へ。
◎メモ
高山社跡 緑野(みどの)郡高山村(現藤岡市高山)の養蚕指導家、高山長五郎の生家。清温育を開発した蚕室(1875年築)や母屋、長屋門などが今も残る。2007年、「高山社発祥の地」の名称で「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つとして世界遺産暫定リストに記載された。国指定の対象は7590平方メートル。

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