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石積みが残る荒船風穴の1号風穴
石積みが残る荒船風穴の1号風穴

荒船・東谷風穴 国史跡に答申 蚕種の貯蔵に“天然冷蔵庫” 複数回の養蚕可能に 明治期の高度な技術
掲載日 2009/11/28

本県の世界遺産候補である荒船風穴(下仁田町)と栃窪風穴(中之条町)が20日、「荒船・東谷(あずまや)風穴蚕種貯蔵所跡」として一括で国史跡に答申された。蚕種のふ化時期を調整し複数回の養蚕を可能にしたことで、生糸輸出の増大に貢献した施設。それぞれ全国一の貯蔵能力や地域単位での有数の規模を誇り、明治後期の高度な技術水準を見ることができる。自然現象を活用した“天然冷蔵庫”は環境負荷の少ない絹産業の象徴でもあり、世界遺産登録を進める上で重要な要素になりそうだ。
(江原昌子)
33府県から委託  
群馬、長野県境にそびえる荒船山北ろくに建造された荒船風穴。冷風の噴出する場所を掘り下げ、壁の代わりに石垣を積み上げて風通しを良くし、土蔵式の建物を築いて冷気を閉じ込めた。構造は栃窪風穴と同様とみられるが、荒船は3棟合わせて110万枚の貯蔵が可能で、東北から九州まで33府県から蚕種が委託された。  
設立者は組合製糸・下仁田社の取締役で、村長などを務めた庭屋静太郎、千寿(せんじゅ)親子で、地元有力者とはいえ、なぜここまで大規模な施設が造れたのか。産業考古学会理事で風穴を研究する原田喬(たかし)さん(69)=前橋市下新田町=は「風穴の技術レベルがすでに確立していたのと、藤岡市の養蚕教育機関、高山社のネットワークがあったのが大きい」と分析する。  
風穴を蚕種貯蔵に用いる手法は幕末期、長野県で始まり、荒船風穴が着工する1905(明治38)年には同県内で30カ所以上設けられていた。その間、不完全な設備によって蚕の虚弱化が問題になり、改良が繰り返された経緯がある。明治30年代後半になって風穴が操業を開始した本県には、より高度な技術がもたらされたとみられる。  
また、庭屋千寿は全国的組織だった高山社蚕業学校の卒業生で、荒船風穴の設計・指導には同社社長の町田菊次郎が名を連ねている。荒船風穴を運営していた会社、春秋館は高山社の分教場も兼ね備えていたことから、深い結びつきがうかがえる。原田さんは「町田菊次郎ら高山社の力があったからこそ、設計メンバーに技師や農学士などあらゆる方面の権威を迎え、全国各地に販売網を展開することができた」と強調する。
先進地並みの規模  
一方の栃窪風穴は県蚕業取締所吏員を経て蚕種製造業に携わった奥木仙五郎が1906(明治39)年、中之条町北東の東谷山中腹に整備を始めた。貯蔵能力は資料によって4万枚とも15万枚とも記録されているが、実際は10万枚を超える規模だったと言われる。地域単位の風穴としては、先進地の長野県と比べてもひけを取らない大きさだ。  
「これだけの規模なのだから、吾妻だけでなく利根沼田やさらに遠くの中山間地まで広く扱っていたのではないか」と推測するのは、仙五郎の孫の奥木功男さん(78)=東吾妻町新巻=。県内で確認されている風穴は7カ所しかないので、それぞれが広範囲の需要をまかなった可能性もある。
「栃窪」は地名を表し、今回の答申で定められた「東谷」は山の名称で、県蚕糸業史にも登場する。奥木さんは「我々は子供のころから『東谷』と呼んでいた。なじみ深い名前で指定されるのはうれしい」と話す。
生糸輸出増大に貢献 冷風が噴出コストゼロ 「エコ」の原点

 クーラーや冷蔵庫といった電化製品が多大なエネルギーを消費するのに対し、冷却コストゼロの風穴はいわば「エコ」の原点。世界的な課題になっている環境の視点からも価値を見いだすことができる。
環境の視点重視
 特に荒船風穴は自然の摂理に加えて、蚕種の取引に鉄道や電信を駆使して全国展開している。標高800メートルの山間地という利便性の悪さを近代的な手段で補ったのだ。県世界遺産推進課の松浦利隆課長は「自然の冷やす力と、当時発達していた輸送や通信の技術を組み合わせた。中間的な技術なので風穴の利用は長続きしなかったが、もう一度見直す必要がある」と話す。
 環境の視点は、近年厳しくなっているといわれる世界遺産の登録審査で重視されるようになってきた。象徴的なのは2007年の石見銀山(島根県)で、審査の約1カ月前に登録延期の勧告が出されていたのを、森林を残した「緑の鉱山」という強力なメッセージで逆転登録を果たした。
 そもそも、世界遺産登録の先進地であるヨーロッパの産業遺産は、近代化によって環境が破壊され荒廃した跡地を活用する意味合いが強い。一方、絹産業は蚕という虫を飼う養蚕、繭から糸を引き出す製糸、織物とどれを取っても環境負荷が少なく、関連資産も桑や風穴、養蚕農家群と周辺の景観を損なうどころか、一体化したものが多い。また、わずかながらも産業として生き残っており、上州座繰りに代表される近代化以前の技術も見直されつつある。
キーワードにも
 本年度から作成が始まった推薦書にも環境のキーワードが盛り込まれる可能性がある。松浦課長は「絹産業があれだけ莫大(ばくだい)な利益を日本社会に長くもたらしながら負の遺産を残さずに済み、さらに次の経済発展につながった。そういう点では、ほかの産業遺産と比べた時に優位性があるだろう」と語った。
◎世界遺産登録 国の法的保護8カ所クリア
 「荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡」が正式に国史跡に指定されると、本県の世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」10カ所のうち、8カ所が国の指定・選定を受けることになる。
 世界遺産登録のためには、構成資産の「国の十分な法的保護」は最低限の条件。県が2003年に世界遺産に向けたプロジェクトを発表して以来、本県の絹産業が日本の近代化に果たした役割を明確にするための要素はおおむね順調に出そろってきているようだ。
 また国指定・選定の動きと並行する形で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会に提出する推薦書について専門的な立場から検討を行うため、今年7月に県世界遺産学術委員会が発足。各資産を関連づけるストーリーの確立が今後の焦点になる。
 委員の一人である石井寛治・東京大名誉教授は「群馬の中での富岡製糸場の位置付けはほかの地域と違うので、詳しい説明が必要になる」と指摘する。本県では手作業による座繰り製糸が長く主流で、富岡製糸場が模範となった器械製糸はむしろ県外でいち早く定着したからだ。
 その上で「風穴などの自然条件を含めて従来の技術をうまく使いながら、世界最大の生糸輸出を支えたのは群馬の一つの象徴。多様な近代化があったことを念頭に置いて検討すべきだ」としている。

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