| Sydney 2000 Paralympic Games | ||
| 仲間の言葉支えに
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| 陸上・短距離 宮川 仁 (吉井)
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きら星のようなデビューだった。九四年六月、ゆうあいピック群馬大会のリハーサル・IDクラス男子百メートルで、宮川はぶっちぎりの1位でテープを切り、関係者の度肝を抜いた。 五年後の九九年、ジャパンパラリンピックで宮川は11秒50で優勝。同クラスに公式な日本記録はないが、事実上、国内歴代1位の記録。シドニーでは「自分のために頑張りたい。悔いのないよう全力を出し切りたい」と、完全燃焼を目指している。 高校卒業後、吉井町の茂木製作所という半導体の加工会社に勤務。社会人として自立しながら、群馬ゆうあい陸上クラブで陸上を続けてきた。仕事を最も大切なものの一つと考えている宮川が、コーチの亀田良一さん(40)のもとで行う練習は土日の週二回。足りない分は仕事後、会社近くのグラウンドで個人的なトレーニングで補っている。 挫折も乗り越えてきた。九八年のバーミンガム世界陸上では期待されながらも、38度の熱を出しファイナル進出はできなかった。「もう海外へは行かない」と宣言。失意の日々を送ったという。コーチの一人である高橋岱士さん(62)は「責任感の強い子です。自費で参加したレース。気にする必要はなかったのに」と当時を振り返る。 復活のきっかけを作ったのは亀田、高橋コーチはじめ、同クラブの堀地彩里さん(29)の励ましの言葉だった。「みんなの支えが大きかった。(シドニーを目指すことを)決意しました」。陸上を通して、たくさんの仲間を得た。近くから見守る父親の淳さん(58)は「結果は全然気にしていません。ただ、お世話になった人たちに対して感謝の気持ちを忘れないでほしい」と、シドニーで走る息子に温かな言葉を送っている。 宮川は「せめて決勝まで」と語っていた。 |
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【プロフィル】 みやかわ・ひとし 太田高等養護学校在籍中に群馬ゆうあい陸上クラブに入り、本格的に陸上を始める。九八年、世界陸上ID(知的障害)クラスで百メートル9位。九九年のジャパンパラリンピックは同種目で11秒50の大会記録で優勝した。吉井町の茂木製作所勤務。七九(昭和五四)年生まれ。二十一歳。 |