| Sydney 2000 Paralympic Games | ||
| ”夢が届く”実感
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| 車いすバスケットボール 塚本 京子 (新田)
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「どうしてもメダルが取りたい」。シドニーの前哨戦。米国で行われた七カ国対抗戦では、優勝候補のオーストラリアを延長戦の末破った。オーストラリアはカナダと共に世界の二強と言われる強豪。「夢」が手の届くところにある実感が、塚本にはある。 高校三年の時、交通事故で脊椎(せきつい)を痛め、車いすの生活に。リハビリテーションの一環で始めた車いすバスケットボールが、今では生活の大きな部分を占めるようになった。 やめようと思ったことは一度もない。だが、「これでは続けられない」とショックを受けたことが一度だけあった。 長女の出産直後、ソウル大会(一九八八年)で二度目の代表に選ばれた。出産のためほぼ一年間、練習ができず、フリースローのボールが、リングまで届かなくなっていた。チームの足を引っ張りたくなくて、長女を寝かしつけた横で、鉄アレイを握った。代表チームの合宿には、長女と共に参加、必死でコートを走った。 週末には東京周辺に住むメンバーが集まって男性チーム相手に試合ができるが、平日は一人。「自分との闘いだった」と振り返る。 「私の役割はチームのまとめ役。選手が力を発揮しやすい環境を整えること」。五度目の出場となる塚本は、そう考えている。 車いすバスケットボールでは、世界と競うという喜びだけでなく、何でも話し合える友達も得た。塚本は「ここまで続けられたのは、家族の理解と多くの人のおかげ」と、心から思っている。支えてくれた人たち、そして、自分のためにシドニーにはメダルを取りに行く。 |
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【プロフィル】 つかもと・きょうこ 神奈川県生まれ。交通事故後のリハビリテーションの一環として車いす陸上を始める。一九八一年に英国で行われた国際大会に出場、スラローム競技で金メダルを獲得。同年、バスケットボールに転向、八四年から連続でパラリンピックに出場している。八九年、夫の転勤で群馬に移る。四十一歳。 |