宇津木 麗華    日立高崎

 宇津木の夢、五輪出場が、ついにかなう。一九九六年アトランタ五輪(米国)では中心打者として期待されたが、目前で出場断念を余儀なくされた。長い四年間だった。

 「きょうから自分の舞台が始まるという感じ。『しっかりしなきゃ』と気が引き締まります。あの悔しさをばねにして、シドニーで勝負したい」

 中国から来日し、日本国籍を取得して「任彦麗」から「宇津木麗華」となったのがアトランタ前年の九五年。アトランタでは「国籍変更から三年以内は、前に所属していた国内オリンピック委員会の承認が必要」との五輪憲章上のルールが壁になった。メダル争いのライバル、中国の承諾を得られなかったのだ。

 「私には、心がなくなった」と心に傷を負った。そのとき既に三十三歳。それでも、あきらめなかった。日立高崎でコーチを兼任しながら、シドニーを待った。

 九八年バンコク・アジア大会後に右肩を手術した。三十六歳の年齢面もある。だが「五輪ではサードを守れるよう努力したい。以前のようなホームランは難しいけど、ヒットを打つ技術は向上している」。

 中国でも、ナショナルチームのメンバーだった。宇津木妙子・現監督を慕い、八七年に来日。中国人選手として初めて、日本でプレーした。軍人だった父親の任位凱さん(70)は日本での生活を心配した。だが「この人(宇津木監督)に教えてもらえば、必ず自分のプラスになる」と固い決意は変わらなかった。

 「選ばれた以上、日本の代表として、悔いのないよう、頑張る。メダルを持って帰る」と決めている。


【プロフィル】 うつぎ・れいか 1988年、来日。95年日本国籍を取得、98年世界選手権代表。三塁手。群女短大卒、日立高崎。170センチ、右投げ左打ち。37歳。中国・北京出身。