つつじが岡にぎわう 1911(明治44)年5月2日

邑楽郡館林町躑躅(つつじ)ケ岡公園の花は今や燃ゆる許(ばか)りの眞盛りにて遠く望めば城沼の碧(みどり)に映え近く眺むれば宛(さなが)ら花中に没し去りたるが如く美観云ふ許りなきが昨今は人出益々加はり雑踏を極めつゝあり

江戸時代に早くも花見の名所として知られていた、つつじが岡公園は明治維新後、荒廃した。復興に尽力したのが初代県令、楫取素彦。拡張、移植が進み、日本有数のツツジ園となった。記事には近隣の工場や店舗をはじめ、都内の女学校からも数百人規模の花見客があり、1日で2万人超が訪れて「茶店や売店は何れも売切れ」と報じていた。