印度産の綿から傳染か 1925(大正14)年5月6日

高崎市内の子どもが天然痘にかかり、消毒や周辺の強制種痘に取り組んだことを報じている。古くから世界中で多数の死者を出した天然痘。県保健予防課によると、県内では戦後の1946年に102人(うち死者15人)、47年に2人が感染したのを最後に患者は報告されていない。ワクチンが普及し、世界保健機関(WHO)は80年、根絶を宣言した。
高崎市内の子どもが天然痘にかかり、消毒や周辺の強制種痘に取り組んだことを報じている。古くから世界中で多数の死者を出した天然痘。県保健予防課によると、県内では戦後の1946年に102人(うち死者15人)、47年に2人が感染したのを最後に患者は報告されていない。ワクチンが普及し、世界保健機関(WHO)は80年、根絶を宣言した。