「赤城」艦長が赤城神社参拝 1939(昭和14)年6月8日

赤城は1920(大正9)年、巡洋戦艦として起工された後、空母に改造された。艦内神社として祭られたのが赤城神社で毎年、代理を送っていたが、寺岡艦長は初めて自ら参拝した。赤城は真珠湾攻撃に参戦し南太平洋を転戦。42(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で米軍の爆撃を受けて炎上、山本五十六連合艦隊司令長官の命令で海の底に沈められた。
赤城は1920(大正9)年、巡洋戦艦として起工された後、空母に改造された。艦内神社として祭られたのが赤城神社で毎年、代理を送っていたが、寺岡艦長は初めて自ら参拝した。赤城は真珠湾攻撃に参戦し南太平洋を転戦。42(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で米軍の爆撃を受けて炎上、山本五十六連合艦隊司令長官の命令で海の底に沈められた。