高野長英の著書発見される 1934(昭和9)年12月23日

江戸後期の蘭学者、高野長英は「蛮社の獄」で江戸の牢屋につながれていたが、1844(弘化元)年、火事に乗じて脱獄。弟子を頼り吾妻郡に逃れ、14カ月かくまわれた後、越後へ移った。「二物考」は飢饉対策としてソバと馬鈴薯を奨励し、栽培法や調理法をまとめた書物。中之条町はこれをヒントにジャガイモを使った「高野長英そば」を売り出している。
江戸後期の蘭学者、高野長英は「蛮社の獄」で江戸の牢屋につながれていたが、1844(弘化元)年、火事に乗じて脱獄。弟子を頼り吾妻郡に逃れ、14カ月かくまわれた後、越後へ移った。「二物考」は飢饉対策としてソバと馬鈴薯を奨励し、栽培法や調理法をまとめた書物。中之条町はこれをヒントにジャガイモを使った「高野長英そば」を売り出している。