前橋大火 大部分が料理店 1930(昭和5)年2月27日

二十六日朝前橋市下の町の火災に就て所轄前橋署では総動員を以て活動したが、全焼失家屋は(略)合計七十戸七十九棟が烏有に帰したものと判明、その殆どが料理店の大建物で(略)一たまりもなく焼失した

午前5時すぎ、料理店や青果店、菓子店などが並ぶ繁華街から出火した火災は、強い赤城おろしにあおられ、瞬く間に広がった。前橋の華やかな街並みは大きな被害を受けたが、見舞金や炊き出しの支援が各地から続々と寄せられた。被災した芸者衆の「何を持ち出すひまもなく命からがら逃げ出した始末です」との生々しい証言を紹介している。