萩原朔太郎氏逝去す 1942(昭和17)年5月13日

萩原朔太郎は第一詩集「月に吠える」で詩壇に頭角を現し、「青猫」で口語自由詩を確立した。「日本近代詩の父」。この年の5月11日、急性肺炎のため死去した。享年55歳。訃報を顔写真入りで報じるとともに、前橋中-六高の同級生、是洞健雄氏の談話を掲載している。生家の一部を保存した朔太郎記念館は今年4月、前橋文学館近くに移転した。
萩原朔太郎は第一詩集「月に吠える」で詩壇に頭角を現し、「青猫」で口語自由詩を確立した。「日本近代詩の父」。この年の5月11日、急性肺炎のため死去した。享年55歳。訃報を顔写真入りで報じるとともに、前橋中-六高の同級生、是洞健雄氏の談話を掲載している。生家の一部を保存した朔太郎記念館は今年4月、前橋文学館近くに移転した。