國定忠治「大利根救へ」 1935(昭和10)年10月3日

「大利根を救へ」と大書し國定忠治その他の侠客の名をならべたビラが去る廿八日大利根が暴虐を逞しくしてゐる最中、銀座(略)などの盛り場に三十万枚ほどバラまかれた(略)覆面の義人こそ(略)河野義氏であつた

本県は9月下旬、大水害に見舞われ、274人が死亡した。危機に瀕した故郷に義援金を求める檄文が都内で大量にまかれたが、呼びかけ人には何と国定忠治や大前田英五郎ら名だたる侠客がずらり。この元祖「タイガーマスク運動」を起こしたのは中之条町出身の実業家、河野義(よしのり)氏だった。河野氏は町重文の「有職(ゆうそく)びな」の寄贈者としても知られる。