B29 前橋市を爆撃 被害僅少 1945(昭和20)年8月7日

前橋大空襲は終戦の年の8月5日夜。大量の焼夷弾が落とされ市街地の大半を焼失、一夜で535人の命が奪われた。本社は焼失を免れ、通常の半分程度の大きさの臨時本紙1ページを発行した。被害は甚大だったが、軍の検閲を経た記事は「被爆地區の縣民は士氣極めて旺盛」「老幼病弱者などは見事な避難を行ひ犠牲者なども殆んど出ない有様」とあった。
前橋大空襲は終戦の年の8月5日夜。大量の焼夷弾が落とされ市街地の大半を焼失、一夜で535人の命が奪われた。本社は焼失を免れ、通常の半分程度の大きさの臨時本紙1ページを発行した。被害は甚大だったが、軍の検閲を経た記事は「被爆地區の縣民は士氣極めて旺盛」「老幼病弱者などは見事な避難を行ひ犠牲者なども殆んど出ない有様」とあった。