塩原太助のお陰 旱魃知らず 1933(昭和8)年7月28日

上毛かるたに「沼田城下の塩原太助」と詠まれた江戸時代の豪商。炭屋に奉公し独立、立身出世を果たした生涯が明治期に落語や歌舞伎となり、全国に知られるようになった。富豪になっても質素な生活を送り、榛名湖近くの峠に常夜灯を造るなど多額の私財を公共事業のために投じた。故郷の新治村羽場(現みなかみ町)の貯水池もその一つだった。
上毛かるたに「沼田城下の塩原太助」と詠まれた江戸時代の豪商。炭屋に奉公し独立、立身出世を果たした生涯が明治期に落語や歌舞伎となり、全国に知られるようになった。富豪になっても質素な生活を送り、榛名湖近くの峠に常夜灯を造るなど多額の私財を公共事業のために投じた。故郷の新治村羽場(現みなかみ町)の貯水池もその一つだった。