救われます中高瀬遺跡 1990(平成2)年6月5日

1989(平成元)年に弥生時代後期の大規模集落跡が見つかり、学術的価値の高さから研究者に「東の吉野ケ里」と呼ばれた中高瀬観音山遺跡。高速道建設のために壊される寸前だったが、考古学会の重鎮が重要性を訴えたほか、住民の保存運動が市や県を巻き込み発展。日本道路公団が高速道の設計変更に踏み切った。同遺跡は97(同9)年、国史跡に指定。
1989(平成元)年に弥生時代後期の大規模集落跡が見つかり、学術的価値の高さから研究者に「東の吉野ケ里」と呼ばれた中高瀬観音山遺跡。高速道建設のために壊される寸前だったが、考古学会の重鎮が重要性を訴えたほか、住民の保存運動が市や県を巻き込み発展。日本道路公団が高速道の設計変更に踏み切った。同遺跡は97(同9)年、国史跡に指定。