軍神九勇士 太平洋の礎に 1942(昭和17)年3月7日

1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃の際、生還の可能性が極めて少ない特殊潜航艇で編成した特別攻撃隊の武功は翌年3月、大本営から発表された。戦死した9人は「軍神」とたたえられ、隊長の岩佐直治(前橋市出身)は2階級特進し中佐となった。国民の戦意高揚の象徴となり、東条英機首相が墓参した。記事では岩佐中佐の絶筆や手紙が掲載されている。
1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃の際、生還の可能性が極めて少ない特殊潜航艇で編成した特別攻撃隊の武功は翌年3月、大本営から発表された。戦死した9人は「軍神」とたたえられ、隊長の岩佐直治(前橋市出身)は2階級特進し中佐となった。国民の戦意高揚の象徴となり、東条英機首相が墓参した。記事では岩佐中佐の絶筆や手紙が掲載されている。