朔太郎育てた厳父の直筆 1995(平成7)年1月5日

詩人、萩原朔太郎の父親で医師の密蔵(一八五七-一九三〇年)が書いた大正時代の健康診断書が四日までに、前橋市文京町の県立文書館で見つかった。(略)直筆書類はほとんどなく、朔太郎研究の上で貴重な資料

見つかったのは密蔵が1916(大正5)年に県に提出した教員の健康診断書。萩原朔太郎研究会幹事(当時)の石山幸弘さんが、朔太郎と関係のあった詩人を調査中に発見した。密蔵は大阪府出身で、東京大医学部を卒業後、1882年に県立病院医員として本県に赴任。副院長などの職を経て、3年後に前橋市内に萩原医院を開業した。