日露戦争時 婦人団体の美挙 1904(明治37)年11月11日

愛國婦人會前橋市會員、前橋積善婦人會員、前橋奉公婦人會員の三團体協議の上出征軍人に贈るべく慰問袋募集の事は回を重ねて之れを称揚する所ありしが(略)其の數實に四千個に近き多額に達せり

日露戦争はこの年2月に開戦、高崎第十五連隊は乃木希典司令官の指揮下で旅順攻略に参戦した。十五連隊は500人以上の死傷者を出す壮絶な戦いの末、旅順要塞の前進基地であった一六四高地を占領、乃木は同高地を「高崎山」と命名した。兵役を終えた「後備歩兵」も徴兵され、軍人への慰問や大黒柱が出征した家族への救護活動が広がりをみせた。