県央に「東国市」建設を 1935(昭和10)年6月7日

政府主導による「平成の大合併」が動き出す10年以上前、前橋、高崎、伊勢崎、藤岡、玉村、境、群馬、新町の4市4町と経済団体、企業で構成する研究会が人口80万人規模となる大合併を提言した。関東圏域の各県央でつくる都市との競争に勝てる枠組みと指摘。名称は「東国の雄として全国最多の古墳が築かれている」ことから採用した。
政府主導による「平成の大合併」が動き出す10年以上前、前橋、高崎、伊勢崎、藤岡、玉村、境、群馬、新町の4市4町と経済団体、企業で構成する研究会が人口80万人規模となる大合併を提言した。関東圏域の各県央でつくる都市との競争に勝てる枠組みと指摘。名称は「東国の雄として全国最多の古墳が築かれている」ことから採用した。