赤城山覚満淵でスケート 1925(大正14)年12月6日

美しい湿原で「小尾瀬」と称される覚満淵はかつて湖でスケートができた。湖水が大沼に流れ出し渇水状態にあった大正期、旅館主の猪谷六合雄が整備し原形に戻した。記事ではスケートを楽しむ写真が掲載されている。猪谷は日本近代スキー界の草分け。赤城山などで英才教育を施した長男、千春は冬季五輪で日本人初のメダリストとなった。
美しい湿原で「小尾瀬」と称される覚満淵はかつて湖でスケートができた。湖水が大沼に流れ出し渇水状態にあった大正期、旅館主の猪谷六合雄が整備し原形に戻した。記事ではスケートを楽しむ写真が掲載されている。猪谷は日本近代スキー界の草分け。赤城山などで英才教育を施した長男、千春は冬季五輪で日本人初のメダリストとなった。