風船爆弾の張板 肥桶に 1945(昭和20)年11月2日

米本土爆撃の夢を乗せた風船爆弾用紙製作に用ひられた巾二尺五寸(略)の張板が(略)食糧増産の一と役を買ふことになつた。高崎市では(略)農家のため肥料箱を製作配布し食料増産面に役立たせることに決定

風船爆弾は太平洋戦争末期、日本軍が開発した気球に爆弾を搭載した兵器。米国本土を狙い、偏西風に乗せて9000発以上が打ち上げられた。1000発前後が本土に到達したと推定され、オレゴン州で6人の命を奪った。気球の皮となる和紙を貼り合わせるのりは下仁田などのこんにゃくが使われた。県内でも製造され、作業に多くの女学生が動員された。