「飛燕」発掘へ 1979(昭和54)年2月10日

1945年2月16日、陸軍飛行第244戦隊所属の戦闘機「飛燕」が館林市上空に飛来した米軍機と交戦し、機銃弾を受けて墜落した。乗員は沖縄出身で、遺体の一部が現在の同市木戸町の常楽寺に仮葬されたが発掘は途中で断念。地元住民の要望で34年ぶりに再開された発掘には遺族も立ち合い、3日間の作業で砕けた遺骨や多数の機体破片が見つかった。
1945年2月16日、陸軍飛行第244戦隊所属の戦闘機「飛燕」が館林市上空に飛来した米軍機と交戦し、機銃弾を受けて墜落した。乗員は沖縄出身で、遺体の一部が現在の同市木戸町の常楽寺に仮葬されたが発掘は途中で断念。地元住民の要望で34年ぶりに再開された発掘には遺族も立ち合い、3日間の作業で砕けた遺骨や多数の機体破片が見つかった。