上越線 開通の緒に就く 1921(大正10)年7月1日

(※●は示へんに「貞」)
明治期に新潟と東京を結ぶ鉄路の敷設を呼び掛けたのは、法師温泉の創業者で南魚沼郡長だった岡村貢。巨額の自費を投じ自ら地形の測量も行った。夢は引き継がれ、1918(大正7)年着工。20(大正9)年の宮内-小千谷間に続いて高崎-渋川間が開通。新前橋など4駅が開業した。この日の新聞は8ページ全てで上越線を取り上げ、開通を祝った。
明治期に新潟と東京を結ぶ鉄路の敷設を呼び掛けたのは、法師温泉の創業者で南魚沼郡長だった岡村貢。巨額の自費を投じ自ら地形の測量も行った。夢は引き継がれ、1918(大正7)年着工。20(大正9)年の宮内-小千谷間に続いて高崎-渋川間が開通。新前橋など4駅が開業した。この日の新聞は8ページ全てで上越線を取り上げ、開通を祝った。