涙にぬれた興安丸 舞鶴へ 1953(昭和28)年11月30日

夢にえがいた祖国への宿願かなつて帰国を喜ぶ人々を乗せてナホトカを出航した興安丸からは「(略)日本海は天気快晴」と入電があり一歩一歩祖国へ近づいている。県帰国関係者は十名(内一名出身地不明)

群馬県史によると、太平洋戦争で県内から海外へ従軍した軍人軍属は12万人で、4万人が戦死し6万7000人が戦後復員した。ソ連に抑留された軍人や民間人の復員、引き揚げは容易に進まなかった。記事では目前に迫った十数年ぶりの対面に胸膨らませる家族の写真とともに、「帰れることを神かけて祈つていた」との喜びの言葉を掲載している。