「雑誌王」野間清治逝く 1938(昭和13)年10月19日

「日本の雑誌王」と呼ばれた野間清治は1878(明治11)年、桐生市に生まれた。県師範学校、東京帝大を卒業、沖縄で教員をした後、東京帝大法科大首席書記官の職を得て上京。30歳で講談社の前身である大日本雄弁会を立ち上げ、日本で初めて100万部を超えた「キング」など人気雑誌を次々と世に出した。「面白くて為になる」を編集の理念とした。
「日本の雑誌王」と呼ばれた野間清治は1878(明治11)年、桐生市に生まれた。県師範学校、東京帝大を卒業、沖縄で教員をした後、東京帝大法科大首席書記官の職を得て上京。30歳で講談社の前身である大日本雄弁会を立ち上げ、日本で初めて100万部を超えた「キング」など人気雑誌を次々と世に出した。「面白くて為になる」を編集の理念とした。