子寶母ちゃん表彰 1939(昭和14)年7月22日

桐生方面事業助成會では市内で七名以上の子寳を持つ「お母さん」の表彰を行ふことになり、二十四日市役所で十名以上の「お母さん」に對し表彰状と記念品傳達式を擧行、生めよ殖やせの國策に拍車を加へる。

記事では7人以上の子がいる母親626人を「心強い限り」とたたえ、11人を産み育てた母親を名前入りで紹介。国は1940年、夫婦の平均出生数(完結出生児数)を調べる第1回出産力調査を実施(4.27人)、41年には平均5児の出産を目標とさせる人口政策確立要綱を閣議決定し、軍国主義の下で「産めよ増やせよ」政策を強めていった。