世界無銭探険記 上海より 1909(明治42)年3月11日
明治末期に鎖国政策を取っていたチベットに潜入した伊勢崎市出身の矢島保治郎から寄せられた通信を記事にしている。2月3日に横浜港から単身出発、上海を皮切りに中国各地を旅し四川省からチベットに入った。ラサに入ったのは出発から2年後。1カ月ほど滞在し帰国するが、翌年再び入国。ダライ・ラマ三世の厚遇を得て軍事顧問になった。
明治末期に鎖国政策を取っていたチベットに潜入した伊勢崎市出身の矢島保治郎から寄せられた通信を記事にしている。2月3日に横浜港から単身出発、上海を皮切りに中国各地を旅し四川省からチベットに入った。ラサに入ったのは出発から2年後。1カ月ほど滞在し帰国するが、翌年再び入国。ダライ・ラマ三世の厚遇を得て軍事顧問になった。