関孝和 200回忌に従四位 1907(明治40)年11月23日

關新助先生は本朝數學の大家なり其生國は我か上野にして多野郡藤岡町が其の誕生地なり(略)其學理はニュートン、ライプニッツの微分積分に及ばざる所ありとするも實際の應用に於ては同一の目的を遂ぐる

上毛かるたで「和算の大家 関孝和」と詠まれた数学者。数字の横に西洋数学のX、Yのように甲、乙といった文字を付け未知数を導く傍書法や球の体積の計算法を発明した。生年は1640(寛永17)年前後、1708(宝永5)年に没したとされ、第二百回忌にあたるこの年、従四位を贈られた。藤岡市は珠算大会や和算講座などの顕彰事業に取り組んでいる。