生糸を直輸出 星野長太郎 1888(明治21)年3月29日

星野長太郎は生糸の直輸出を日本で初めて実現させた。水沼村(現桐生市)の豪農の家に生まれ、地元に器械製糸所を設立した後、改良座繰りの振興に務めた。横浜の外商を経ずに輸出するため、1876(明治9)年、実弟の新井領一郎を渡米させ取引に成功。政府は当初厚く保護したが財政再建を理由に助成廃止を打ち出し、長太郎は粘り強く陳情していた。
星野長太郎は生糸の直輸出を日本で初めて実現させた。水沼村(現桐生市)の豪農の家に生まれ、地元に器械製糸所を設立した後、改良座繰りの振興に務めた。横浜の外商を経ずに輸出するため、1876(明治9)年、実弟の新井領一郎を渡米させ取引に成功。政府は当初厚く保護したが財政再建を理由に助成廃止を打ち出し、長太郎は粘り強く陳情していた。