水にあえぐ東京都民 1964(昭和39)年7月24日

マンモス都市東京都民には憂うつな夏の訪れだ(略)ふろはダメ、プールもダメ、洗たくや飲み水さえ思うにまかせない(略)都民の怒りに突き上げられて登場したのが“坂東太郎”大利根からのもらい水計画。

東京五輪を間近に控えたこの夏、東京は未曾有の渇水に陥り「東京砂漠」と呼ばれた。人口集中による水需要の急増と異常な少雨により、首都圏の水需要を担っていた多摩川水系のダムは干上がり、日常生活に深刻な影響を及ぼした。五輪を成功するため計画されたのが利根川からの緊急取水。突貫工事で導水路が整備され、8月25日に完成した。