激増 妙義遭難 1971(昭和46)年11月6日

妙義山は岩場の難所が多く転落事故が絶えない。この年遭難騒ぎが前年のゼロに対し16人と大幅に増加したのは、妙義紅葉ラインの開通で、東京方面から軽い気持ちで来る登山者が多くなったため。ミニスカートなどの軽装で登山する人もいて、救出に当たる地元の山岳会などからは、谷川岳と同じように登山計画書の義務づけといった声が上がった。
妙義山は岩場の難所が多く転落事故が絶えない。この年遭難騒ぎが前年のゼロに対し16人と大幅に増加したのは、妙義紅葉ラインの開通で、東京方面から軽い気持ちで来る登山者が多くなったため。ミニスカートなどの軽装で登山する人もいて、救出に当たる地元の山岳会などからは、谷川岳と同じように登山計画書の義務づけといった声が上がった。