来月早々に“雄姿” 1976(昭和51)年11月29日

高崎城は箕輪城主だった井伊直政が交通の要衝を押さえるため整備し、1598年に入城した。乾櫓は本丸北西側(戌亥=いぬい)の土塁に建てられていたもので、明治維新後は払い下げられ、農家の納屋として使われていた。県内で唯一現存する城郭建築という。1974年に県の重要文化財に指定され、76年に現在地に移築・復元された。
高崎城は箕輪城主だった井伊直政が交通の要衝を押さえるため整備し、1598年に入城した。乾櫓は本丸北西側(戌亥=いぬい)の土塁に建てられていたもので、明治維新後は払い下げられ、農家の納屋として使われていた。県内で唯一現存する城郭建築という。1974年に県の重要文化財に指定され、76年に現在地に移築・復元された。