「きょう最終試験」吾妻川の酸性中和 1959(昭和34)年8月8日

草津白根山に起因する強酸性の水が流れ込む吾妻川は河川工作物がすぐに劣化し、水利用にも適さなかった。酸性中和事業が始動したのは1964年。同時に、強酸性を背景に凍結されていた八ツ場ダム(長野原町)計画が息を吹き返すことになった。川の上流部でアルカリ性の石灰を投入し、中之条町の品木ダムで中和を促進している。
草津白根山に起因する強酸性の水が流れ込む吾妻川は河川工作物がすぐに劣化し、水利用にも適さなかった。酸性中和事業が始動したのは1964年。同時に、強酸性を背景に凍結されていた八ツ場ダム(長野原町)計画が息を吹き返すことになった。川の上流部でアルカリ性の石灰を投入し、中之条町の品木ダムで中和を促進している。